歌曲 民謡 童謡 唱歌 合唱曲 校歌・会歌 歌劇 民謡編曲 ピアノ曲 室内楽 童謡編曲 管弦楽
1912(明治45)・4・ 東京音楽学校甲種師範科に入学                        
1912(明治45)・6・9           「日影」(ヒーマンス夫人・自訳)              
1912〜(大正年代)以降   ☆「暗き渚にて」(尾山篤太郎)
「あきくさの」(永田竜雄)
                     
1913(大正2)・12・2 心臓病のため、一年間休学し帰郷する(〜3/31)[1]                        
1914(大正3)・11・26                   ☆「変奏曲 子守唄3/4」      
1915(大正4)・3・         ☆「美し島曲に」(3/22)(昭和2年1月1日改作) ☆「春の日たのし」(女4)(3/27)              
1915(大正4)・6・ 6月4日から9日まで、学友31名と共に演奏旅行に出かける。 ☆「浜べ」(6/14)(林古渓)     「子守歌」(6/4) 「新緑」(6/4)              
1915(大正4)・7・ 「日和下駄」音楽学校校友会誌「音楽」第6巻第10号に入選作として発表。       ☆「日和下駄」(吉丸一昌)(7/6)                
1915(大正4)・9・   ☆「哀悼」(9/10)                      
1915(大正4)・12・           ☆「毬つく児」(女3)(12/28)              
1916(大正5)   ☆「白き手に」(柳沢健)       ☆「月下の船」              
1916(大正5)・3・ 東京音楽学校甲種師範科を卒業 ☆「消えてあとなき」(永田竜雄)(3/9)                      
1916(大正5)・3・25 教員免状(音楽)下付される                        
1916(大正5)・5   ☆「夢見草」(服部嘉香)(5/8)                      
1916(大正5)・8・1 郷里の青年男女を募って3ヶ月間音楽講習をする。                        
1916(大正5)・9           ☆「さくらさう」(混4)(望月れい)              
1916(大正5)・12・1 一年志願兵として歩兵第11連隊に入隊する。 ☆「嗟嘆」(川路柳虹)                      
1917(大正6)   ☆「想ひ出」(川路柳虹)                      
1917(大正6)・2・18         「コスモス」(竹内勝太郎)                
1917(大正6)・5・28           ☆「秋さめに」(混4)(永田竜雄)              
1917(大正6)・6           ☆「千鳥」(女3)(永田竜雄)              
1917(大正6)・7   「春はきさらぎ」(永田竜雄)                      
1917(大正6)・8・27           ☆「平泉懐古」(女4)(新藤武)              
1917(大正6)・9・10 「大島女」(川路柳虹)作曲 ☆「千鳥」(永田竜雄)(9/4)
☆「五月の空に」(川路柳虹)(9/10)
☆「大島女」(川路柳虹)(9/10)
☆「影踏めば」(永田竜雄)(9/14)
                     
1917(大正6)・10   ☆「流れ星」(川路柳虹)(10/5)
☆「月光と虹」(竹内勝太郎)(10/12)
                     
1917(大正6)・11・30 満期となり予備役陸軍歩兵軍曹になる。                        
1918(大正7)   ☆「ゆるき流れに」(霜田史光) ☆「子守唄」(竹久夢二)                    
1918(大正7)・1 福岡県小倉市に移転する 「落花」(永田竜雄)(1/22)                      

[1]
:
1913年夏より、帰省中の学生が中心になって「耶計山」という同人雑誌を刊行する。
8月第1号発行。
清水が帰郷してからは、彼が編集印刷を一手に引き受ける。
「耶計山」には、彼の「滞郷記」が掲載される。

彼が再度上京するに当たり第8号で廃刊。
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